74 Lab

Labの研究内容のヒント・・・

「ナナメの夕暮れ」若林正恭 「天才はあきらめた」山里亮太

を読む。
 
私はお笑い番組が好きだが
限られたものをTVで見ているだけで
それほど詳しくはない。
ネタも正直、M-1とその他で少し見てただけ。
 
アメトークなどを見ていて
若林さんはきっと私に合う。と思って読んだ。
ここまでナナメに見ていたからではないけれど
行動は似ている部分がある。
 
山里さんは、何かのアイドルを相手にした
ライブ的 番組で、だったか?で見て
ものすごいコメント力だなと思っていた。
あんなふうにして身につけたものだったのか。
私はあんまり嫉妬はしない・・・と思っていたけど
あれは嫉妬だったのではないだろうか?ということがちらほら。
生かしてもいいんじゃなかろうか。
 
ほんと、面白かった。
文字通り、ものすごく刺さる。
 
どちらも
「自分の正解」
的なことを
見つける、作る、のが道になっている。
 
それも最初はそれがわからずに
周りに聞いたり感じたりして
始めて、進んでいる。
 
私は、あんまり自分の価値観がはっきりしていない。
この内容を、自分にあてはめなくてどーすんのと
ほんっとーに今更ながら思うのです。
 
しかし、
私にとって
「売れる」って
どういうことを指すんだろうか?からか。

これからの「カッコよさ」の話をしよう

よんだ。

 

インターネットが広がって

多様化するかと思ったら

古い保守的なものになっている

 

正しさで語ると画一化する。
コトで語ると
正しさと
興奮するかどうかになる。
それはあまりパターンがない。

よって、昔のベタなものになる。

 

格好良さで、そして
モノで語ると
多様になるのではないか

というのが

 

単純な
「シンプル=格好良い」
から
脱出するにはどうしたらいいか?
と思っていたところだったので


いろいろなことを含んでいることが必要ってことかしら。
そして、「正しさ」に頼らない感じがいるってことかしら。

とか考えて、面白かった。

 

格好いいとは
独立性があって
ベタじゃないことをいうのかな。

 

あと、

表層と中身の一致って

それが必要なのかと思い込んでいたけど
モダンの考えなのか!

 

久々な上に
浅いけどメモメモ。

とめはね!を読んだ。

書道漫画だ。高校の書道部が舞台。
何年か前に終わっているので一気 に読めた。
 
買ったきっかけは、マイナーなものに
主人公がどう入っていくかのサンプルが欲しくて
集めたものの一つだった。
〜〜〜〜〜
断片的に知っていたことが色々重なって
個人的に面白かったので、誰でも面白いかはよくわからない。
けどキャラクターはいい感じです。
 
臨書の意味
書の歴史、
筆の使い方
 
なんといっても
近代詩文書と金子鴎亭の関係
が「へ〜」でありました。
 
知人が(と言っておこう)
金子鴎亭の弟子の弟子で
近代詩文書も書いていたので
名前と分野は知っていたのですが
「漢字かな混じりの書」ともいう団体?もあったり
呼び方はさまざまだけど、旧来の書道ではなかった
カテゴリーを毎日書道展でこの名前をつけて
作ったのはこの人だったのかっ。
 
木簡も隷書も
単語は知ってたけどつながった。
聖武天皇は繊細な文字で
光明皇后は以外としっかりというのもおもしろい。
知人の文字は意外と光明皇后にも似ているような
気がしたりして。
 
そして、臨書というのはどの分野でも
必要なものなんじゃないかと思って感激してるのでありました。
デザインの臨書というのもあるのだ。
それが私には足りない。ほんと、今更だけども。
 
やってみるか。

 

夏休み、最終回、あだち充

物語の最終回が苦手です。
年をとったからかと思いましたが、
よく考えたら昔からです。
特にマンガが多いんですが。
 
思い出すのは幼稚園のころ
楽しみに見ていた「いなかっぺ大将」のアニメが
終わったとき、とても胸がつまって
どうしようもなかったことがありました。
泣けばいいのかなんなのかよくわからず
ただ苦しくて困ったのでした。
 
高校生のころ「めぞん一刻」の漫画が終わって
その晩眠れなくなってしまいました。
寝つきの良い私にはとても珍しいことです。
なんか、今まで積み重ねてきたものを思い返すような
エンディングがとてもぐっときてしまうようです。
とてもバカバカしい話が多かった前半が
かえってその気分を増幅します。
 
社会人になってたまたま借りてきた
猟奇的な彼女」の映画でも
なんとも苦しくなってしまいました。
内容は覚えていないのですが・・・
生きているうちのある判断で
永遠に会えなくなってしまうことの寂しさ
みたいなことを感じたような気がします。
 
普段はそれほど感傷的なわけでもないんですが。
卒業式とか悲しくなかったですし。
 
しかし例がなんとも恥ずかしいものばかり。
 
〜〜〜〜〜
 
この間メディア芸術祭の展示にいったとき
マンガ部門のネームや下書きを見て
紙にキャラクターとセリフを描くと
突然世界が立ち上がる、ということに
今更気付いたわけですが、
 
最終回の苦手さはその世界が終わる、
ということからくる喪失感みたいなもので、
よくいう〜〜ロスというようなことかもしれません。
そして、
なにもかもいつかは終わる、とうことを思い出す
からなような感じです。
もっと色々ありそうですが。
 
〜〜〜〜〜
 
ちょっと話が変わりますが
 
夏休みになるとどうも気分が落ち込みます。
思えば十数年前にひどい時がありましたが
可能性がないと感じるような、
閉塞感とでもいいましょうか。
いや、仕事を頼りに過ごしてるので
なくなった喪失感だったりして。
 
 
・・・そんなとき
最終回的なものにあたろうものなら
やばいのです。
 
〜〜〜〜〜
 
昔からあだち充が大好きというか
初めて買ったマンガがタッチで、
その後ほとんどの単行本をかき集めて、
なんども何度も読み、
それしか漫画を持っていなかった時代が
あるような、特別な漫画家です。
 
その後
大学生のころちょっと周辺の環境を変えたくて
一気に漫画の整理をしてすべて手放したのでしたが、
社会人になってからまた買い始め、でも
またちょっとしたきっかけで買わなくなったり
しておりました。
 
〜〜〜〜〜
 
ここまで前置きです!
 
先日(2018年8月)
あだち充本」が出ていたので買ってきました。
それを見ていると、様々な最終回や
読んでいたころの自分を思い出して
なんとも切ないような気分になっております。
 
疲れた夏休みに
昔さんざん入り込んだマンガの
最終回的なこと、キャラクターや作者の分岐点。
 
やばい。
 
普段は、苦しいのでこの感情には
あまり深く入り込まないようにしているのですが
この悲しさに向き合ってみるのも
実は面白いのではないかと、つらつら書いてみました。
 
怖いけれど、あらためて読んでみようかしら。

メディア芸術祭2018 @国立新美術館

 
これ、無料なのですね。
一度行ってみようと、
いわゆるメディアアートを見たくて行きましたが
意外とマンガにぐっときました。
しかし、一つも知っている作品がないというのは
あまりにチェックしなさすぎか。
 
あ、あと色々な会場で
映像作品とかカンファレンスとか
あったようで、ちゃんとチェックすればよかった。
後悔ばかり。いや、いいんですけど。
〜〜〜
ネームとか原画とか見ていると
白い紙に線を引いただけで
生命が立ち上がるのがふと見えて
おーっと思いました。
 
当たり前かもしれませんが
すごく感じたのです。
〜〜〜
あと、線がきれい。
マンガの間に挟まるであろう
エッセイ的ページのモノの解説の
ちょっとした線がすげー。
綺麗だし、空間とか雰囲気まで入っている。
私も少し描ける気になっていたのは
甘いなとつくづく思いました。
〜〜〜
アニメーションの中で
妙に印象的だったのは
の絵コンテがすげーきれいだったこと
あれ、真面目に一枚もかけないや。
〜〜〜
そのあと、
これも古くからあるメディアだなと
おとなりでやっていた
書道展を覗いてみたのですが
淡々と同じサイズの作品が並ぶのに驚きました
 
どういう団体の
どういう展示だったのでしょう。
1000点くらいあったんじゃなかろうか。
誰が誰に見せるためのものなのでしょうか。
お教室の発表会にしては大掛かりですし。
 
人に見せるのはどういうことかと
考えさせられました。
調べればわかるのでしょうがまたあとで。

イノベーションのジレンマ読みました

私の思いつきは
今の職場では
求められるものではないな
とよく思っていたのですが
 
この本の内容には
なぜそんな感じがするのか
1つの答えがあります。
 
少し物差しを変えたらどうかとか
新しいことをするのはアプローチを変えようとか
思いつくのですが
 
プロセスと
価値基準が
その企業なのですから
それを変える
選択はされないのです。
 
 やる気がないんじゃなくて
その方向にやる気があるのです。
それを守るのが仕事の条件ですから
何か矛盾してしまいます。
 
送り出している商品が
魅力的なうちは
その中で過ごすのも楽しいのですが
そうでなければ
二重に苦しい。
 
もう、随分前の本で
名前は知っていたのですが
やっと読みました。
遅いようですが
今読んだから腑に落ちた
部分も多いでしょう。
 
細かい事例はよくわからず
読み飛ばしたところもあるので
また読んでみたいと思います。

アート×テクノロジーの時代

読みました。(ばっかり)
 
最近「あー面白いなー、すごいなー」と思うことは
メディアアートでくくれるのか、と今更 気づいた
 とつぶやいたことがありましたが
 
それに近い人たち
チームラボ
ライゾマティクス
タクラム
寒川裕人
について書いた本で、これは読まねばと。
 
・見たことあるものも
「あ、そういうことだったのか」
とわかること多し。
全体的には私にとって良いまとめの本でした。
 
・寒川さんは恥ずかしながら知りませんでした。
もう少し詳しく知らないと解釈しきれない内容でしたが
なんだか今ぼんやりイライラしてることを
新しい解釈で進もうとしてる感じがして興味が湧きました。
調べねば。
 
自分なりの解釈で色々行動せねば。
毎日ねばねばしている。
 
〜〜〜〜〜
 
・どうでも良いですが
車関係の単語の使い方は少し違和感あるものあり。
1:ラップタイムを「周回記録」と表現しているところがありましたが
サーキットにおけるラップタイムは「1周に要した時間」なことが通常。
(競馬やマラソンなど、区間タイムなこともありますね)
上記はそうは取れない単語な感じがします。
別の意味で 「周回数記録」は走行時間が決まった中で記録を競う
 耐久レースであったりしますがそれでもなく。
 
2:マクラーレンホンダMP4/5をセナの「愛車」と表現していますが
あまりレーシングマシンをそうは呼ばない気がします。
もう少し道具やマシン感が強いのかしら。愛機とは言うかな・・・。
 
でも通常、愛するのとは違いますよね。信頼はしても。とか。
自分で選んだり作ったりするわけではないのもあるかしら。
 
3:トヨタのLFAスパイダーを
「コンパチブル」と書いていますが車では
コンバーチブル」という時が多いかなと思います。
 
細かな分野の慣習って色々ありますね。