74 Design Labのブログ

ナナヨンデザインラボの代表のデザイン周辺の雑感 

世界ハッカースペースガイド

読みました。
紙の本で買ってみました。
イカーズのエコシステム
ハードウェアのシリコンバレー深圳に学ぶ
kindleだったのですが。
 
すげーワクワクする。
自分ももっと作りたいなーとジリジリする。
 
そうか
活動と発表で
同じ趣味や考えの仲間を増やすと
嬉しい状態につながるのだな
 
人と関わるのが苦手な私も
これならいけそうな気がする。
 
つーか仕事中は話せるのだ。
いい製品作ろうって意識は一緒だから。
 
そういうことだ。

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

読みました。
 
デザインの仕事をしていると
価値を、この本で言う
サイエンスやクラフトで語らなければならない
そうでないと説得できないが
でもどうしても無理があると
ずーっと苦しんでいました。
 
また、デザインではない部署で2年ほど
面白いことを見つけては
トップにレポートする仕事をしていましたが
 
論理が通るようにまとめると
どうしても最初の面白さが
削がれてしまうことを何度も経験し
 
全体の中の数カ所は
筋が飛んでいるところがあってもいい
のではないか、いやそうに違いない!
と思うようになり
 
最後のレポートは
その方針でまとめました。
 
本の内容は読んでいただくとして
そのようなことを思い出し
説明する言葉をもらった気がします。
 
・・・でも言語化できるということは
アートじゃないのか?
いや、アートは言語化できないところにある
という言語化はありか。
 
そして
システムの外から改革を叫んでもうまくいかない
というのはとても耳の痛い話で
よく考えて実行しようと思います。
 
 
教育の話で内田樹さんも言っていた気がするし
正しいことをしたければ偉くなれ
だったか、踊る第捜査線のセリフも
そういう意味かもしれません。
 
私がすごいなーと思う人も
自分のいる業界を否定しない気がします。
 
デザインて面白いよな。
でも、使う場所は変えてみたい。
 
もう一つ。
新しいことをするとき基準を内部化しなければいけない
というのは、実は何度も失敗していて
これも耳の痛い話です。

D&DEPARTMENTに学んだ、人が集まる「伝える店」のつくり方

この人も実行している。
初めてナガオカさんの本を読んだとき
ちょうど中古品を活用できないか考えていた。
非破壊検査が必要かなーとかくだらないことを。
買ったその足で、「読む前に店に来て」と書いてあったので
探して行ったのだった。
何年前だろう??
8〜9年前かな?
 
それからこの本まで
3〜4年
その後もどんどんやっている。
 
どういうひとが
どういうものがほしくて
どんないべんとならくるか
 
実感として持ちたい。
やらなきゃ。
 
そればっか。
やります。

「遊ぶ」ように「仕事」をしよう

読んだ。

実は途中で新幹線の中に忘れてしまって
2冊目を買った。あーん。
 
でも買ってよかった。
みんな
淡々とアグレッシブに
謙虚で大胆に
イメージすることを実行している。
 
学生への態度が真摯だ。
 
背筋が伸びる
っつーか
ほわーと熱くなる。
 
今更だが
ちゃんとプロになりたい。
ちゃんと生きたい。
あおいか。

「自分」を仕事にする生き方

 
kindleで読んだ。
これ、やってみたいなあ。
〜〜〜〜〜
お金で計れない価値を
提供することこそが
お金を生む
 
これは私も思う。
つーか結局これを言っている
本が多い気がする。
どういうことか考えている。
 
〜〜〜〜〜
お金で計れなくて
別の価値観で欲しいと思う時
迷わずお金を出すのだ。
 
限定とはそういうことの一つ。
でもそれは本当の価値ではないかも。
 
半額!
という刺激の仕方は
切り口が変わっていないので
よくないのか。
 
道具にお金を払うのは
やりたくて
でも
人の手ではどうしてもできないことのとき。
 
うー、もうちょい考えよう。

「生命・人間・経済学」

森田真生さんの数学ブックトークで紹介されていたので
その場で買ってみた。
 
値段を見ずに2冊本を買ったら思わぬ値段でびっくりした・・・。
1000円のTシャツは躊躇するのに
2500円の本は即買い。いやびびったけれども。
 
約40年前の本の復刻的なものです。
経済学者と分子生物学者の対談で
「ガチの異種格闘技」と解説があるような内容。
 
しかしまあ40年、
大きな問題は変わっていないのかと
笑ってしまう。
 
そして思ったのは
「正しいと言えることは閉じている」
というようなこと。
経済学も理論の世界で閉じていて
現実と対応しないような感じの話があった。
 
森田さんはブックトークの中で
 
数学の世界で数字は意味のない記号
その純粋な世界で考えていくと飛べる場所がある
それを現実世界に当てはめて考えてみると面白い
面白いというか、現実を見ているだけでは飛べない視点に行ける
 
ような意味のことを言っていたように思い出した。
話を聞いている人は解釈して別のことを考えている
というようなことも言っていた。だからきっとずれているが。
 
閉じるのも必要だけど
閉じないと決断できないし、分類しないと理解しづらいから。
でも繋げるのも忘れてはいけないということかしら。
 
閉じたままでは話ができないし。
自分の分野至上主義の人とは話がしづらい。
でも開いている人は、その分野では異端となるのかな?

「小田嶋隆のコラム道」

ミシマ社の本が好きだ。
それにもかかわらずこれは古本屋で見つけて買った。
申し訳ない。
 
デザインやさんとしても
 
コラムとは何か?
才能のはなし
結末・・・流れと印象
のあたりが、結構イメージできたりした。
 
最高に面白かったのは
推敲の章だった。
 
アイディアスケッチも
客観視しすぎると描けなくなる。
一旦のめり込んで描いておいて
あとから考察というのがきっと要る。
 
仕事場で描いている場合
その考察前のスケッチを人に見られるのが
私はすごく嫌なのだが、
自意識過剰かもしれない。
 
あそうだ、
デザインも主語が要る。
アートに比べて客観性が要りそうな気もするが
やっぱり、これがいいと思う価値観です
というのが要るし出る。
 
設計者に
物理とか化学みたいな拠り所がないだろ
信用できねー的なことで酒の席で絡まれたことがあって
それが言いたいだけの人にはうまく説明できなかったが
 
こういう生活がいいとか
こういうものが美しいんじゃない?
とかいう哲学が拠り所なんじゃなかろうか。
 
そして私にはそれがいまいちはっきりしてないような気がする。
少なくとも詐欺みたいなことはしたくないなとかは思っている。
そのものの持っている特徴を素直に表現したいとか。
 
それはともかく
枠組みがあって
お題があって
切り口を見つけて
表現するのは
コラムもデザインも同じなような気がしたのでした。