74 Design Labのブログ

ナナヨンデザインラボの代表のデザイン周辺の雑感 

ぶつかれ!

損失回避バイアス
大活躍している人には少ないらしい。
場数、打席に立った数が異様に多いと。
 
ダイアローグ イン ザ ダーク
に行ったとき
 
自分の手に触れたことと
聞こえたことしか
情報がないこと。
 
すでに他の場所にいる人に聞いて
頭の中に世界を構築する感じは
生きてることそのものだな
 
と思ったことがあるけど
 
そのときに
ぶつかろうとなんだろうと
どんどん進んでみると
世界がもっと早く掴めたかもしれない。
 
怖いからって動かないと
なんもわからないわけで
 
どんどん場数をこなす
(そして頭に仮説を構築しつつ)
のは
そうしないと世界の広さがわからないから
試すんだなとか思いました。
 
それをした人は
なにか成し遂げているのでしょう。

作業場が欲しいなあ

「作業場がほしいなあ」

というと
「なにすんの?」
と笑われる。
心外だ。
 
なんかもう、基本というか全てではないか。
しかしそう言われると説明するのが難しい。
 
〜〜〜
 
プロダクトデザインの仕事って
イメージして
それを他の人が理解できるように
表現して
(絵だったりモデルだったり
プロトタイプを作って)
 
それが世の中にあったらいいよね
と思ってもらうこと
 
そのあと
量産するものなら
そこへの移行を
スムーズに、クオリティを保ってする
 
のが仕事
なのかなと思います。
 
それをするのに作業場や設備が必要です。
 
〜〜〜
 
いや、まあ、元々
「イメージして作る」
がしたいだけなんだ。
それがたまたま
職業になっているのだ。
 
イメージしたものが
人の役に立つなら嬉しいことで。
 
〜〜〜
 
会社に勤めているのは
・テーマがある
・設備がある
・仲間がいる
・工場がある
・販売網がある
からだ。
 
自分の範囲で言えば
設備がでかい。
テーマもそうか。いろいろ経験できる。
 
でも今、どれも微妙なのだ。
そうなったら、
設備だけ自分で準備して
なんかやってみられないか
となってるのが
今の状態か?
 
というわけで
作業場が欲しいのです。

デザイナー=芸人?

日経に載ってた立川志らくのコラムを読んで思った。
 
芸人は非生産性の仕事である。
芸人になるのはアウトローの世界に身を崩すということ
芸人にとって大事なことは自身の芸に対する自信と怯え
自信だけでは品がない
 
とのこと。
あ、デザインもこんなくらいでもいいんじゃないか。
世界にいいことをなんて大上段にならなくても。
「生産性を上げる」だけでは面白くならない。
 
私は結構、生産性を妨げるアイディアは嫌いだった。
でもそんなもんじゃないか。
でも心を込めて作る。それで良いのかも。
 
ちょっと脈絡がないけど。

あるもののジャンル名を知った日

昔、漫画をまあまあいっぱい買っていたころ。漫画雑誌は買う習慣がなくて、たまたま引っかかりがあって買っていた漫画達が、あるときジュンク堂の池袋店の漫画コーナーに始めて行って、「サブカル」と書かれた棚に随分まとまっていたのを見たのの微妙なショック。

 
なんかすげーなー。いいなーと思う人たちが今、「メディアアート」とくくれることに気づいたのと似ている。
 
「サブカル」も「メディアアート」も単語は知っていてもあまりピンとこないし、どちらかというとネガティブなイメージだったのも似ている。
 
最先端技術に浮かれる感覚はあまりないような気がしてたが、そうでもないかも。
 
そして30年前までは
最先端技術は車にも使われて意味があったであろう。でも今はきっと違うのだ。

製品(なんと呼ぶか迷うが。商品?モノ?)を作っていくときに 捉えようとすること

世の中に大きく影響を与えた製品、

ヒットした製品で、
ああ、やられた、とかいいなあとか
思うモノに必要な「感じ」
が人それぞれあって、
 
開発中に
それの違いを話し合うならまだ噛み合うのですが
 
そういう概念がない人がたまにいます。
最悪、末端のスタッフなら、いいのですが
決定権を持つ人だととても困ります。
 
その「感じ」自体必要ないというか
存在を感じていないので
説明してもまったく引っかからないのです。
ある製品の進み具合でそれが足りないと言っても
「なにそれ?」「意味がわからない」と鼻で笑います。
 
私としえは開発中に
ささやかなものでも、その「感じ」がつかめたかな?とか
これかな?と思ったらしめたもんです。
そこまでが苦しいけど、そこが考える醍醐味で楽しい。
 
掴んだかな?以降は結構ある意味楽で
(漠然とした苦しさはなくなるので)
ある意味違った意味で苦しい。
(実現するための工夫は地味で、これかな?というのを保つことが)
 
説明してもまったく引っかからない人と関わるのは
どうも時間の無駄のようで
こういう「感じ」が大事なんだよな
と言葉で再認識するのに役立つ。とか思ったのです。
 
「感じ」は
要素が関係なくはなく、並べてみては
 遠目でふわっとつかむようなものかな?

教養教育と3Dデータ

内田樹の「街場の教育論」の中で

専門教育と教養教育について書いてあるくだりで
乱暴にまとめると)
教養課程は他の言語の分野となんとか繋がるためのものだ
というのが腑に落ちたのです。
 
専門馬鹿から脱出するにはそういうことか。
 
そして私はやる気がしないけど
昔の六芸の中の「射」は今はゴルフだと考えると
なんかやる意味がわかるかななどと考えたりしました。
 
〜〜〜
 
さて、
他分野とつながる話で。
 
工業デザインについて深く掘っても
他分野(部門。工程)には関係ないって状態では
製品のレベルは上がりません。
 
絶対につながんなきゃいけないんだけど
私を含め半端なデザイナー同士で話してると
デザインの中だけで話が回ってしまいます。
 
そしてあまり難しい話でなくても
実作業でどうつながるかと考えた場合
 
他の工程とつながる手段は
 (いっぱいあると思いますが)
ストーリーと
3Dデータが
そうではないかと思うのです。
 
質の高いデザイン(スタイリング)をするのに不可欠ではないので
やらない人もいますし、
組織や工程上重要視されてないときがあるんですが
私は重要視しないといけないと思うのに
理由が説明できなかったのです。
 
他の分野との共通言語になるってことではないでしょうか。
「共通言語」なので
スタイリング(狭く捉えるためにこの単語にしておきます)
を向上するには少し不便に感じるので
あんなもの、という人もいます。
 
でも質の高いスタイリングの目的は
質の高いモノを作るためなんですから
閉じてちゃできませんよねえ。
 
当たり前でしょ
という方の職場はいいんですけど。

研究テーマを出してみる

昔色々あったり、
最近のSNSで出てくる問題やら見ていると
書くことを迷ってしまうので
始めてみたものの筆が進みませんが
でもやっぱり少し形に残しておきたいと思っていますので
思いついたテーマだけ羅列しておきます。
 
1:クロームメッキって何?
2:脅しのデザイン
3:和みのデザイン
4:金型のデザイン
5:密閉のデザイン
 
人の悪口にならないように
誇張しすぎないように
したいと思います。
いきなり完成度の高いものは難しいけどなー。